「例え嫌われても勝ちたい」女子バスケ界のレジェンド 矢野良子が3×3に挑む理由 VOL.1

矢野良子

 生き方や働き方など、今は多様性が尊重される時代。でも、実際に他の人と違う選択をするのは勇気がいるもの。そんな、自分の意思で道を切り開き、輝く人生を歩む“型にハマらない女性”にスポットをあてる「Ordermade of Life(オーダーメイド・オブ・ライフ)」。今回インタビューしたのは、女子バスケットボール選手の矢野良子さん。
 2004年のアテネオリンピックに女子バスケットボール日本代表として出場、社会人リーグ「Wリーグ」でもスター選手として活躍しながら、2017年には東京五輪出場への夢をかけて3人制バスケットボールへ転向。自ら発起人となり、女子の3×3(スリー・バイ・スリー)国内最高峰ツアー「3W Triple Double(トリプルダブル)」を立ち上げました。安定した選手生活を送る選択肢もあったにも関わらず、自ら進む道を開拓し続ける矢野さんは、まさに型にハマらないかっこいい女性。前編では、そんな矢野さんの過去と現在のお話を伺います。

スター選手からプレイヤー兼営業ウーマンへ、新リーグ立ち上げへの挑戦

矢野良子

― Wリーグの強豪「トヨタ自動車アンテロープス」でプレーしていた矢野さんですが、2017年に3×3への転向を発表されました。現在、どんな活動をしているか教えていただけますか。

矢野:3人制バスケットボールで現役選手としてプレーしながら、2020年の東京五輪出場を目指しています。女子は日本での試合が少なく、FIBA/JBA公認の「3X3.EXE PREMIER(スリー・バイ・スリー・ドット・エグゼプレミア)」というリーグが4月末から9月頭までのみ。夏場は週1回程度の試合になります。その中で3W(トリプルダブル)は、オフシーズンとなっていた9月下旬から5月頃を開催期間とするリーグとして立ち上げました。
3×3では試合数や勝ち負けによって個人にポイントがつくのですが、そのポイントを獲れば獲るほど五輪に近づきます。国内トップ100位の選手の総ポイントで世界ランキングが決まるので、最終的に8位までには入っていたいなというところです。国際大会に出場して良い成績を残せばポイントがもらえますが、それは大会に行けても4名だけ。周りの底上げのためにも、大会は多い方がいい。なので、3Wを立ち上げました。

―今まで企業チームのスター選手としてプレーしてきた矢野さんにとって、一からリーグを立ち上げたのは、大変な苦労だったのではないですか?

矢野:本当に大変ですね。どこで大会を開催するかとか、コートを設営するための時間やスペースの調整が可能かといった点まで、自分で交渉しています。そのおかげで、自分が環境面で守られてきたことだったり、今までサポートしてくれていた人への感謝にも気づくことができました。

―それだけ大変な思いをしながら立ち上げた3Wですが、現在ポイントは増えてきていますか?目標に近づいている手ごたえはありますか

矢野:試合をしないよりもする方がポイントは増えます。ただ、ルールがまだ完全に定まっておらず変わることもあります。また、35歳以上の選手にとって不利なルールに改正される可能性が残っていたり、そのあたりはまだ明確に決まっていない状態ですね。ただ、少しでも可能性があるなら、そこに賭けたいと私は思っています。

「最高の舞台であり最低の舞台だった」アテネ五輪。忘れ物を探しに

矢野良子

―2020年東京オリンピックの正式種目でありながら、日本ではまだまだ知名度が低い3×3。そもそも、3×3を始めようと思ったのは何故ですか?

矢野:2000年のアテネオリンピックに出場して以降、ずっと「もう一度オリンピックに出たい」と思っていました。しかし、ロンドン、北京、リオでは出場を逃し・・・そんなときに、3×3がオリンピック種目になるという噂を聞きました。5人ではなく3人制ですが、同じバスケットボールでオリンピックに出て、そこで引退できたらいいなと思うようになったのがきっかけです。

―今アテネオリンピックのお話がありましたが、矢野さんにとってアテネはどんな大会でしたか?

矢野:初めてオリンピックに出場することができて、“最高の舞台”でしたが、“最低の舞台”でもありました。出場できたのは最高でしたが、自分がシュートを外してしまったことで決勝トーナメントに上がれなかった。そのことに、今でもずっと後悔があります。たらればですが、あのシュートが入っていたら引退してたかもしれないし、その後の人生も変わっていたかもしれません。
もう一度オリンピックに出るというのは、アテネの忘れ物を取りに行くようなもの。もう一度同じ場所に立って、試合をする、結果を残すことが現役としての最後の目標かなとずっと思っていました。その目標を叶えるために、少しでも可能性が広がるならと3人制に挑戦しています。

衝突した分結束力は高まる、そのためなら嫌われてもいい

矢野良子

― 高校卒業後、ジャパンエナジー(現JX-ENEOS)に入団。その後富士通、トヨタに移籍をしています。社会人チームでプレーしていた頃を振り返ると、どんな競技生活でしたか?

矢野:一言で言うと・・・波乱万丈でした。その時々の状況や感情で動いたのもありますが、自分でもこんなにチームを変えると思っていませんでしたし…。アスリート自体が個性の塊でしかないので、衝突もしましたね。毎日、練習中に喧嘩をしているような状況もありました。でも目標がはっきりしていたので、仲が悪いわけではありませんでした。「自分はこう思った」と皆で言い合って、お互いを理解しあっていたからこそ、結果に繋がっていたと思います。優勝を達成できたシーズンは、衝突した分、結束力が高かったと思っています。


―人に嫌われることを恐れるあまり、あまり自分の考えを言えない人もいます。でも矢野さんはそんな不安を抱くこともなく、言い合うことができるんですね。

矢野:その不安は全くありません。逆に嫌われ役を買って出ていたくらい。勝負の世界なので、仲良しグループになってしまうと勝てません。はっきり自分の信念も言うことで、周りの人間はいらだっていたかもしれませんが、強く言うのは嫌いだからではなく勝ちたかったから。私のことを嫌いだった人はたくさんいたかもしれませんが、嫌われても仕方がないと思っていました。仲良くしたいですし、いつも一緒にいるような関係は楽です。でも、そうすることで勝てるのか考えて、勝てないチームだったときは、かなり厳しく当たっていましたね。


―20年以上もの間バスケットボール選手として活躍している矢野さんですが、試合で使用する靴へのこだわりはありますか?

矢野:昔はチームがアシックスだったのでアシックスを履いていました。富士通の時からはナイキをずっとはいていますね。アシックスは日本人の足に合う靴を作っているので合いますが、かっこいいのはナイキなので(笑)。ナイキの方がすべりやすいですが、今は靴に頼りすぎるのは良くない、靴が滑っても自分の足でしっかり持ち堪えられることが大切だと言われています。
機能面は大前提ですが、やっぱり見た目のカッコよさだったり、自分のプレーにあう靴や気持ちよくプレーできる靴を選びたいというのは、以前から思っていることですね。

バスケットボールとオリンピックへの熱い思いを語ってくださった矢野さん。後編では、将来やこだわりについて伺います。

[矢野良子 Ryoko Yano] 徳島県出身。徳島県立城北高校卒業後、1997年にジャパンエナジー(現JX-ENEOS)に加入。以降、富士通~トヨタとチームを渡り歩き、国内トップリーグ「Wリーグ」で20年間プレー。リーグ制覇4回、皇后杯優勝6回を達成した。2017年に3×3へ転向。五輪出場を目指す。 witter: @ryokoyano  Instagram: @tripledouble2018 ×3 WOMEN’S BASKETBALL GAMES https://scratch.host/3w/

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